代十五代横綱梅ヶ谷藤太郎

代十五代横綱
梅ヶ谷藤太郎
慎重176cm
体重113kg
土俵成績
116勝 6負
(幕内20場所)
歴代横綱でも
最高の成績を
残し引退後も
相撲界に寄与した
明治初期の
大力士 梅ヶ谷は
朝倉市杷木志波の
出身です。
朝倉市杷木志波梅が谷には
大横綱 梅ヶ谷の生家跡がある
ここには、横綱の銅像(なぜか
初代若乃花に似ている)が
有る
石碑と碑文それと若乃花が
植えた梅ノ木も有る。


藤太郎は最初は大阪相撲でした。
大阪相撲に入門以来負けたのは
わづかに4番だけと言う抜群の
強さと技量で明治3年、
25歳の春大関に昇進しました。
藤太郎はさらに自分を磨きたいと
東京相撲に移る決心をしました。
当時相撲界は、大阪と
東京の二つに分れ大阪で
実力の有る大関でも東京では
最下位からの出発でした。
大阪の力士だと言うだけで
偏見や、迫害を受けながら
藤太郎は耐えひたすら相撲に
打ち込み励みました。
明治17年正月場所を全勝で
飾った 「梅ヶ谷」 は横綱免許の
二大権威 「吉田司家」 「五条家」
の両家から横綱の免許が
与えられています。

明治十八年 「横綱は不敗たるべし」
の名言を残し引退 42歳の時でした。
引退後
雷部屋を興したり、前国技館の建設に
取り組むなど相撲界の発展に尽し
ました。 

その 徳を慕って今でも力士の
お参りが有ります。
昭和天皇お手播きの梅