秋月が日本の天然痘予防方、種痘、発祥の地

緒方春朔

朝倉市秋月は種痘発祥の地です。
この人緒方春朔は(1748〜1810)久留米藩瓦林家に生まれた。
医業緒方家の養子になり医者の道に入った。
30歳のころ秋月に移り住み、藩医となる
春朔は当時恐ろしい伝染病だった「ほうそう」の予防に強い関心を持ち
中国や、インドで考案された方法などを沢山の医学書を読み調べた結果
「鼻乾苗法」を考案した。この方法は患者の「痘(とう)」=できものから膿を
採取し乾燥してその粉末を健康な人の鼻から吹き込み体内に
「ほうそう=天然痘」の免疫を作ると言うもの

理論や実験で完成していても人の体で証明しなければその医学が正しいとはいえません
その時秋月の大庄屋、天野甚左衛門がじぶんの二人の子どもで実験するようにいいました。
春朔ははじめ断りましたがその熱意の押され種痘をしました。
二人の子どもはそれから7日後に鼻がつまり風に似た症状を呈しその3日後には赤い
発疹が現れてきましたが10日ほどで熱も下がり発疹も消えもとの体に戻りました。
種痘は成功し春朔の苦労が報われました。
イギリスのエドワ−ド、ジェンナーが種痘に成功する6年前のことです。


朝倉市ふるさと人物志より